『五輪書』で一躍有名になったなった「五行説」は、 古代インドで唱えられた仏教的な思想に基づいている。 五輪説に唱えられる「空」はただの「そら」や「くうき」の意味だけではなく、 宇宙にあるすべての存在は、 お互いに影響し合っている(縁起)と常に変化しているという、 仏教的思想も深く込まれています。
「五輪説」と干支などで知られる「五行説」はよく混度されるが、 「五行説」とは、 仏教で経なく、 古代中国に成立した道教的な陰陽道の宇宙観に基づいている。 なお、 五輪の地・火・水・風・空に対して、 五行説は木・火・地・金・水を唱えます。
五輪塔はご先祖など死者を供養して、 成仏へと導くために、 平安時代以来建てられてきました。 ここで建っている古い五輪塔は、 平安時代末期の優れた武将であり、 公家であり、 当代きっての歌人でもあった、 源頼政の供養塔と言われています
五輪説
源頼政
源頼政は弓の名手とされ、 天皇を悩ませていた鵺(ぬえ)という妖怪を射ち落とした逸話でも有名。 1180年、 平家打倒のために兵を挙げたが、 宇治川の戦いで敗れ、 自害した。 頼政は戦いに敗れたものの、 その勇気は源氏一族を奮い立たせ、 やがて平家を打ち破る力の一端となった。 また、 辞世の歌を詠んで自ら命を絶つという最期の在り方は、 その後、 武士たちにとって一つの理想ともなった。
頼政の首伝説
戦に敗れて自害の準備をする頼政が」何よりも案じているころは、 自らの首が敵の手に渡り、 京の町を引き回されること。 標準的な史料によれば、 頼政はこの恥辱を避けるため、 頼政の家臣たちは彼の首を切り落とし、 宇治川に投げ捨てたとされている。 しかし、 頼政は死ぬ間際、 忠実な家臣たちに、 自分の首を愛馬に載せ、 その馬が行けるところまで東区へ運ぶよう命じたという伝承も関東地方の各地に伝えられている。
結縁寺の伝説
結縁寺に語り継がれてきた伝説によれば、 その馬は宇治から懸命に進んできたものの、 ちょうどこの地を通りかかったところで首が急に重くなり、 動けなくなったという。 家臣たちは地元の農民の助けを借りて、 頼政の首を一つの塚に、 そして忠義深い愛馬をもう一つの塚に葬ったと伝えられている。 また、 頼政の首と愛馬を葬ったと伝えられる「頼政塚」と「名馬塚」が、 お寺から歩いてすぐの場所に祀られています。 結縁寺の人々は頼政との深いゆかりを大切にし、 現在もその塚を守り続けています。 塚へは寺から歩いてすぐの場所にあり、 気軽に訪れることができます。
