キキョウ

秋の七草の一つ。

  • 紫色が映えます。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • 花冠は、 径4~5㎝。 先始め、 黄白色のおしべがしっかり雌蕊を包んでいます。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • おしべが開いて、 花粉を出し始めます。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • 花粉を出し終わると、 おしべはしおれて、 めしべの先端が開きます。 受粉の機会を待っています。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I watanabe

  • 葉は細長く、 長さ4~7㎝、 先端はとがる。 葉の表面は無毛。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • 葉の裏面 短い毛があり、 粉をまぶしたような白色
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • 次のつぼみが成長しています。
    写真 / 2023.07.22 長野県原村 I Watanabe

  • 果実は、 大きく成長して来ました。
    写真 / 2023.08.24 長野県原村 I Watanabe

特徴

凛とした姿が美しくなよなよとした姿とは逆に、 太い根を地中にのばし、 たくましく生きています。 戦国武将にも好まれました。

タイプ : 多年草
大きさ : 高さは50~100cm
花の時期 : 初夏~初秋
生える場所 : 草地
分布 : 北海道、 本州、 四国、 九州

※正確な(しゅ)の判定は、 形態を細部まで見る必要があります。 ​

桔梗は花の美しさとともに幸運のシンボルでもあった

1.桔梗紋の由来
 土岐家は清和源氏の一族。 家祖とされた土岐光衡(みつひら)は鎌倉幕府の御家人で、 源平の合戦でも活躍した人物。 その光衡が戦いの陣中で野に咲く水色桔梗を見つけ、 これを兜の前立につけて戦ったところ大勝利を得たという。 それから桔梗を縁起のいい花として好み、 家紋でも使用された。
2.桔梗の花は生活に密着した花
昔は桔梗の花を一輪、 神や仏に捧げて吉凶(キッキョウ)を占った。 土岐光衡(みつひら)は、 このようなキキョウの花の霊力を利用しようとしたものと思われる。 清和源氏に連なる武将として、 明智光秀、 大田道潅、 加藤清正など、 歴史上有名な武将が、 この桔梗紋を採用した。 浅野長矩(浅野内匠頭)も明智一族として桔梗紋を使用していた。
3.下級武士の利用例としては、 「組合い角に桔梗 (くみあわせかくにキキョウ紋」」の坂本龍馬が知られる。 龍馬ら坂本家は、 明智光秀の娘婿であった明智光春の子、 明智太郎五郎を先祖としていることから用いている。
4.「明智光秀」(あけちみつひで)は、 独自の「水色桔梗」を使用。 水色桔梗はその名の通り、 水色に染め上げた珍しい家紋で、 「織田信長」も明智光秀の美しい水色桔梗を羨ましがっていたと伝えられている。 しかし、 明智光秀が1582年(天正10年)に「本能寺の変」を企て、 織田信長を自害に追い込んだため、 織田信長の子孫は今でも桔梗の花を飾らないと言われている。
5.万木土岐氏
万喜城に拠った土岐氏も実は、 清和源氏頼光流土岐氏の後裔である。 美濃守護土岐頼芸の一族が、 斎藤道三のために家運の衰えたのを恨み、 美濃を出て諸国をめぐって武者修行をし、 のち関東に下り、 やがて上総万喜に居住し、 里見氏の知遇を得たと伝えられる。

  • 明智光秀の水色桔梗

  • 坂本家の桔梗紋

見られる散歩道

執筆協力 : 渡邉勲